開運術極意!阿頼耶識語録
開運術極意!阿頼耶識語録
- 阿頼耶識(あらやしき=心理学でいうところの潜在意識のこと)とは万人の心の奥深い所に宿る記憶の貯蔵庫のことです。
- しかし、それは単に記憶を貯蔵しておくだけでなく、その貯蔵された記憶を用いてその人の未来を描き出す運命の創造所でもあるのです。
- 不運・不幸の人はアラヤにあらかじめ収めておいたものが現在立ち現れてきている姿なのです。
- ではそこに収めるものとは何でしょうか。それは「思考」です。
- 我々は自分の思考をコントロールし、それをアラヤに収めることによって、自分の人生に幸運をもたらすことが出来るのです。
- 簡単に言えば、心に絶えず思っていることはアラヤ識に入り、熟成され、やがてはそれを体験することとなるのです。
- これは良いことを思えば良いことを体験し、悪いことを思えば悪いことを体験するという意味です。
- ですから成功したい人は、絶えず自分が成功した時の姿を思い描いていることが必要なのです。
- 反対に心配なこと不安なことを思っている人には、その通りの不運な人生が展開してきます。
- だからアラヤ識を動かすためには、心が平和でなければなりません。つまり心がまず楽をしていなければならないのです。
- 心が「楽する人」であるならば、まもなくその人の人生そのものも「楽する人」になります。
開運術極意!阿頼耶識語録
- 初めに日本へ渡来した仏典に、阿頼耶識(あらやしき)という言葉があった。阿頼耶識は現代で言う深層意識のことである。人の心の奥底にひそむ無意識層である。
- 阿頼耶識は、また一切種子識(いっさいしゅうじしき)とも呼ばれ、そこに宿った思念は、やがて開花し、実を結ぶ。すなわち、それは実現するのである。
- 実現するものは、望むものか、恐れるものかのどちらかである。いずれにしろ、強く思念されたものである。
- 人は、成功や富や健康を望み、強く思念すれば、それは、阿頼耶識に入り、実現してくる。しかし、不平不満の生活をし、未来を恐れれば、失敗、貧乏、病気なども実現させる。
- 肯定的、積極的に生き、感謝と愛に満ちた思いで暮らすべきである。そうすれば、豊かで幸福な日が訪れる。否定的、消極的に生き、愚痴と恐れの内に暮らすなら、その通りの暗い未来がやってくる。
- いずれにしろ、人は自分の未来を選択しているのだ。プラスの思念が、阿頼耶識に入れば、プラスの未来が、マイナスの思念が、阿頼耶識に入れば、マイナスの未来が現れる。だから、幸も不幸も、その人の責任なのだ。
- 自分の気分を明るく暖かいものにし、他人も自分も共に幸せになるよう、願うならば、誰もが幸せになる。しかし、他人が不幸になっても、自分だけ得になればいいと、思っていると、自分に災害が訪れる。
- 幸せになるのは簡単である。自分も他人も幸せになるのを願えばいいのだから。
- 無理やりに力を入れて、成功しようとしない方がいい。それよりも、その願いを阿頼耶識に託し、日々を楽しく暮らすことだ。すると、それは、きっと叶ってくる。
- 他人を自分の意志で、思ったように変えようとするのは危険である。それは、お互いの阿頼耶識が争うからだ。
- 何か不安だったら、その不安の起こるもとを発見することだ。もし、経済不安だったら、お金を稼ぐ手段を探すことだ。
- わずかなおカネでもいい。どんな方法でもいい。それが、人の迷惑にならないことだったら。その仕事を得たら、一生懸命に稼ぐことだ。そうすれば、不安も薄れる。
- 不安が無くなり、成功を夢見ていると、思わぬ知恵や、アイデアが湧いてくるものだ。
- 貧乏であることは、確かに、未来に対する不安条件ではあるが、この不安が生産のためのバネともなる。不安を克服するために働いている内に、大成功してしまうこともある。
- 人生においては、あなたの敵となる人を、遠避けねばならない時はある。ただ、そんな場合でも、出来るだけ穏やかに別れるべきだ。争って別れれば、その不快な感情は、阿頼耶識に不利な影響を残す。
- 「笑顔であれ」というのは、単に、良い人であれ、という意味ではない。これは、自分の阿頼耶識の中を、明るく保つ方法である。自分の身を守る手段なのだ。
- 現在のあなたの人生の状態は、かって、あなたが阿頼耶識に投入した思念の結果である。それは、人や環境のせいではない。あなたが考えていたことがタネとなり、稔った果実なのである。
- 千年を超えた大木でも、毎年現在でも年輪を一つずつ増やしている。それが生きていることなのだ。貯金は少しずつでも増やすことだ。それが自分の命を守り、他人に迷惑をかけないことなのだ。
- 自分が豊かになることを思念し、それを、繰り返し阿頼耶識に入れることだ。豊かになった幸せな気分を、先に満喫することだ。そうすれば、だんだんと豊かになってくる。
- あなたと、あなたの友が、共に豊かになることを願えば、あなたは倍の早さで、豊かになる。
- あなたが人を呪い、人生を呪い、運命を呪うならば、その呪いは、あなた自身のものとなる。
- 阿頼耶識には、善悪を考慮する力はない。だから、あなたにとって不利な願いでも叶えてしまう。例えば、反社会的な欲望でも・・・。気をつけることだ。
- 阿頼耶識を良く動かすために必要なのは、思考よりは、むしろ気分である。根アカで暮らし、感謝に満ちた生活を送ることだ。
- プラスの願いを、プラスの気分で願えば、それは思念となり、阿頼耶識に入る。だが、プラスの願いを、マイナスの気分で願っても、お互いが相殺され、思念とはならないから、阿頼耶識には入らない。従って、その願いは叶わない。
- マイナスの欲望を、マイナスの気分で強く欲すれば、それは強力な思念となり、阿頼耶識に入る。気をつけねばならないところだ。
- 阿頼耶識の采配は不思議で、奇妙なことが多い。何の関係もないところから、願いが叶って行くことがあるから、何でも、目の前へ来たことは、試してみることだ。
- 人の不幸は、正義を主張した瞬間から始まることが多い。思うに、正義とは、黙して行なうものである。他人に行なうことを強いるものではない。
- 世に正義が行なわれるように、祈るべきである。そうすれば、それ阿頼耶識に入り、他の人の阿頼耶識と連携して、正義は現れて来る。
- 何事であれ、人を強制してまで、自分の欲するようにするべきではない。欲することは、外に向かって求めるべきではなく、内に向かって、祈るべきである。
- 人の不幸は、愛を求めた瞬間から始まることが多い。思うに、愛とは、まず与え始めることである。すると、それは相手の阿頼耶識に入り、新しい愛の花に成長することもある。
- 欲するならば、まず、諦めることである。直接、外部に求めることを諦めるのだ。そして、阿頼耶の中で、それが得られたことを夢見ること。そうすれば、それが得られてくる。
- 心の中で、密かに、しかも強く願い続けること、それを「希望」と言う。
- 希望は行く手を照らす光である。生きる力である。そしてそれは、自分の手で、抱くものである。
- 望んだものを得てしまうことが、満足すべき人生ではない。望んだものを得るべく、目指しているのが、満足すべき人生なのである。
- 望んでいることを忘れている時間も必要である。なぜなら、その時間帯に、阿頼耶識が働いているからだ。
- 大きな願いが叶う時期が近づくと、小さな良いことが、次々と起きてくる。それは、阿頼耶識からの前兆である。
- 自分が選んだ人生を目指し、今を生きるのが、最高の人生である。